こんにちは、豊田ふみこです。
今日は、真美研究所にて探求していく「究極の問い」についてお話したいと思います。
それは、
「人はなぜ、美しいものに惹かれるのか?」
です。
例えば、私たちは花を見てなぜ美しいと感じるのか。
色や形の感官でしかない視覚が、なぜ花の「美しさ」を感知するのか。
プラトンはこれに「イデア」の想起という答えを置いて、この問いを意味深長な「謎」としました。
すなわち、この世ではないどこかに美のイデアというものがあって、私たちにそう思わせるのだと。
そして、プラトン以降、美の哲学は長らくこの「謎」をめぐる迷路となりました。

一方で、こうした「謎」が生まれた要因のひとつとして挙げられるのが、美の持つ特異性です。
例えば、花を見て美しいと感じる気持ちは、私たちの感性が受け取るもの、すなわち主観的に「感受されるもの」です。
しかし、(まさに芸術作品などそうですが)同時に万人にとってどの花が最も美しく感じるかという問いも想起されます。
そうなると、美の感受は普遍性が競われて判定されるもの、すなわち客観的に「判断されるもの」とも言えます。
言い換えるならば、美の感受はどこまでも主観的なものでありながら、同時に客観的な性質も併せ持つということ。
ここで、感性的な主観性と判断の普遍性は、ふつうは二律背反的であって両立不可能なものです。
実際、知覚で受け取った美的な感受を、じつは概念的に判断(思考)していると言われても納得しがたいはずです。
では、なぜ美ではこうした両立が可能になっているのか。
あるいは、美の感受をめぐる問いにはこういうものもあります。
なぜ、流線形は美しいのか。
確かに、私たちは不揃いの長さの直線で構成されたジグザクの線や多角形などよりも、流れるような波状の線形のほうに美しさを感じます。
それは一体なぜなのか。
さて皆様は、いかがお考えになるでしょうか。