私たちの歴史の中で「衣服」は、
「体を覆う」という機能を超えて、
その人の階級や役割を表す記号として
使われてきました。
衣服は、
「階級を固定するための記号」
だったのです。
古の時代には、階級を固定するための
記号だった「衣服」が、
現代消費社会においては、
「階級を自ら演出するための道具」となり、
「人々の欲望をかき立てる記号」
へと変化していきます。
言い替えると、衣服の持つ記号性が、
人々の欲望と絡み合った結果、
もともとは身分の差異を表現する
記号だった衣服が、
「ステータスを自己演出する道具」へと
180度逆転したことにより、
ファッションは、
巨大産業へと発展したのです。
着飾ったりすることによる、
見た目の競争に巻き込まれながら、
お互いをお互いに格付けし合うような
権力構造の中に生きるファッション。
残念ながら、私たちは、
この構造の中から抜け出すことはできません。
自分がどう思っていようとも、
他人から勝手に格付けされてしまう
現実があるからです。
その結果、起こっていることは
どんなことでしょうか?
他者視点で、
自分を作るファッションです。
既存のファッション業界にある、
カラー診断や骨格診断は、
「自分がよく見えるものを選ぶ」
というものであり、
印象形成において
確かに効果的ではあります。
しかし、相反する情報があったり、
正解がどれかわからなくなったり、
情報の渦に巻き込まれて、
迷走している方も多くいらっしゃいます。
また、トレンドファッションを取り入れて、
「オシャレに見せたい」というのも、
女ゴコロとしてはあるでしょう。
一方で、流行しているということは、
それだけ世の中の価値観と合致していて、
良いものと認められているということ。
つまり、流行しているものを着る
という行為は、
安心していたい心の裏返し
とも言えます。
しかし、これらがファッションの
本質なのでしょうか?
ここまで読んでいただいているあなたは、
「世の中に何かを働きかけていきたい」
「人に影響を与えていきたい」
と考えている方だと思います。
これまでのビジネス人生の中で、
自分だけでなく周りとの関係性に
心を砕いてきた方も多いでしょう。
他者視点はもう十分に
お持ちだと思います。
誰かに提示された
正解らしきものを選択するのではなく、
自ら「答えのないことについて
判断していく力」が
備わっているはずです。
そんなあなただからこそ、
私は一つの提案をしたいのです。
「その先に行きましょう」と。
他人からあてがわれる
ファッションという装いの世界観を卒業
して欲しいのです。
つまり、
「どんなファッションが自分に似合うのか」
という問いそのものを
捨てなければなりません。
私達が向かう先は
「自分の世界観でまとうファッション」
です。
それこそが本物である装いです。
「似合う服を着る」のではなく
「語れる服を持つ」のです。
他者に「にあっている」と
感じさせる空気感、内面から溢れる知性と
その強さを和らげる女性らしい包容力。
そして、なぜ、その服を着ているのか、
内面から滲み出る知性と
語れる世界観があること。
それはつまり
「自分はどう生きるのか?」を語れる
ということに他なりません。
それらすべてが一体となって、
唯一無二のAuthenticな世界観を構成し、
人々に影響を与えていくのです。
そのような、
あなただけの世界観を表現する装い、
これが「AUTEHTIC STYLE」です。
世界観を表現する上で大事なのは、
あなたの「美意識」です。
「美意識」はすべての物事に通じます。
ファッションだけでなく、
表情、言葉、話し方、所作や立居振る舞い、
仕事の仕方、人付き合い、選ぶもの、
物事の考え方など、
生き方そのものを表します。
この「美意識」を育てるのに
「機微を読み取る感性」は欠かせません。
そこで必要になるのが、
日本の正統派アカデミズムに裏打ちされた
「美の哲学*」です。
ここでいう「美の哲学」とは、
よくある美醜といった
レベルの話ではありません。
「〇〇美学」といったような
個人の経験や考えに属している
主観知などでもありません。
私的言語を用いた感性(主観知)を
磨くことは大事ですが、
そこに客観性がなければ、
人や物事を動かす力にまでは
至りませんので。
また、「美」の探究の面白さは、
成長に応じて
「受け取り方が変わる」
というところにあります。
人格・教養により、
無限に成長できるのが
「美」なのです。
「意識の変革をもっとしていきたい」
「より質の高いレベルへ行きたい」
と思うのであれば
「真美」の探求が最適です。
全てにおいて「質」が磨かれていく。
つまり、真の「美意識」が
磨かれるからです。
*「美の哲学」は、
LuGEND Communityの「真美研究所」にて
お伝えしております。